2010年01月23日

映画評 (500)台のハマー

「(500)台のハマー」、これは、マッスル・カーと男のロマンティックなラブ・ストーリーを巧みに描いた現代映画だ。
若い男とハマーが出会う。狂ったように次々とハマーを買い求める。
買っても買っても、満ち足りることはない。
男は思いきりマッスル・カーたるハマーにあこがれ、絶望的にロマンティックな性格だ。
一方、ハマーはきわめて燃費が悪く、図体が大きいから小道に入ると苦労する。
それでも男は、ハマーへの愛を捨てられない。そして、一台二台では満足ができない。

ハマーブランドが中国メーカーに売り飛ばされようとも、小道でバンパーを擦ろうとも。
ハマーと主人公トムの絆は決して傷つかない。
誰もがエコカーに乗る時代。あのフォードやGMでさえも、ハイブリッドやクリーンディーゼルに進出しようとする時代。
ジャップのプリウスやインサイトが席巻する現代にあって、あえてハマーを選ぶトムに、わたしたちは涙を禁じ得ない。
街中でポルシェ・カイエンに煽られようとも気にせず、フォルクスワーゲン・トゥアレグに追い抜かれようともわが道を往く。

時にエンストやバッテリー上がりを起こす気まぐれなハマー。それにめげずに献身を貫くトムの愛情。
そこにわたしたちは、古き良きアメリカを見て取ることができる。
新人監督のマーク・ウェブは、「トムの記憶を通してのみ」ハマーの姿を描く。
しかも順序立ててではない。
11台目の記憶のつぎは488台目の記憶。
さらにそのあとは249台目。
たくさんのハマーのシャッフルにはなんの法則もない。
口でいうのはたやすいが、これほどたくさんのハマーを用意するのはけっこう大変だったはずだ。
しかもこの映画は「バニシング・ポイント」や「デス・プルーフ」と異なって、生死を賭けたレースではなく、500台のハマーの何気ない日常の走りを描写するスタイルを取っているのだ。
軍用車として生まれながら、平和な街中をどこか違和感を抱えながら走るハマーの姿は、迷走する現代アメリカのこの上なく痛烈なメタファーだろう。

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(写真/ヒロインを演じるハマー)

キネマ潤報/燕



horafukitsubame at 23:54│Comments(0)TrackBack(0)でたらめ映画評 

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