2005年07月01日

本日の本棚 anago 林真理子[著]

まさに、魚ホラーともいうべき新ジャンルを確立した衝撃の長編小説。
天ぷら、お寿司、蒲焼、出汁巻き卵、煮付け…
アナゴにはまった女の、カロリーとの凄惨な戦い、そして同性への嫉妬を克明に描くこの作品は、多くの女性の共感を勝ち取るだろう。
この小説の中には、女性ならだれしも経験してきた、思い出すだけで“食べ過ぎた”食事のすべてのパターンがある。

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後輩から「あなご」とからかわれるほどのアナゴ好き、奈央子は、一流商社の一般職で33歳。
同期のほとんどが寿退社か転職している。そこそこ恋愛もしたし見合い話もあったが、結婚には至らなかった。
結婚したくないわけではない。デートに金を使うぐらいなら、大好物のアナゴを食べる為に使いたいのだ。
年々増す己の体重にうんざりしながら、アナゴを越える良い男がいないと嘆く。

林真理子は、女性の心理を描くのが上手い。
特に、好物か男かの選択肢が切実に迫られている30代OLの心の揺れを描かせたら、他の女流作家の追随を許さない。
奈央子が男性と会い、ささいな仕草からその男性を好物のアナゴと比較する辛辣な観察眼といったら、作者は本当にアナゴが好きなのでは、と疑うほど的を得ている。

だがこの本は、30代女性の恋愛・食事観を描くだけでは終わらない。
物語は、結婚退職した後輩・絵里子に旅先で会い、彼女もまたアナゴ好きだという事実を知ったところから急展開していく。
奈央子は絵里子が自分より高級なアナゴを食べていることが許せない。
エリートで優しい夫、何不自由ない暮らし、その上アナゴまで私よりいいものを食べるっていうの!
奈央子は嫉妬し、絵里子の家庭を崩壊させるべく動き出す…。

読み進むうち、得体の知れない虫が這うような食欲が、じわじわ足元からせり上がってくる。
美味そう。絵里子が頬張る高級アナゴの描写も実に巧で、食欲をそそる。
だが、絵里子への対抗意識から、どんどん普通の幸せから遠ざかっていく奈央子が、鬼の形相で喰らい付く安物のアナゴも、これまたおいしそうなのである。
それもそのはず、作者の林真理子は、執筆に当たって、「クッキングパパ」の作者うえやまとち氏に徹底した指導を受けたという。

そもそも、食べ物であるアナゴと人間の男を比較するのは、本来は不自然な話である。
しかし、奈央子にとっては、そこに違和感が無いのである。
彼女にとって、アナゴも男も、幸せをもたらす一つの手段に過ぎない。
しかし、どちらか一つしかとることは出来ない、と彼女は考えるのである。
アナゴをちょっと我慢して、男を手に入れようとは考えない。
「それがアナゴ系のプライドよ」と、奈央子はあくまでもアナゴを我慢することをよしとしない。
女性心理に疎い男性が作者の本を読んだら、無邪気にアナゴを食べる若い女の子達も、胸の内でオレと比較しているのか!と女性不信に陥るかもしれない。
もっとも、マトモな男性が、林真理子の本を手に取ることはないだろうが…。

そして、その思いもつかないラストに、あなたはきっと涙するだろう。
本を閉じた瞬間、アナゴが食べたくなるに違いない。

本作品は、グルメ誌「Kuouze」連載中、丸の内OLの間に“anago系”という言葉や“anagoメール”なる現象まで生み出した。
“anago系”とは、男よりも自分の好物を取る誇り高いOLのこと。
そして、“anagoメール”とは、「今日ちょっとアナゴ食べに行かない?」というお誘いメールのことを言う。
お陰で都内の飲食店では、OLからアナゴ注文が殺到し、全国のアナゴ水揚げ量も従来から30%も増加したという。
まさに「anago」ブーム恐るべしである。


at 14:03│ でたらめ書評 
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