2005年06月25日

本日の本棚 頭がいい人、悪い人の見分け方 樋口裕一

昨年7月の発売以来、常に売り上げランキングの上位に食い込んでいるこの本。
読者たちは、その内容のあまりのシンプルさと過激さに、不思議な魅力を感じているようだ。
その魅力とは、一体何なのか。

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この「頭がいい人、悪い人の見分け方」はたった1ページしかない異例の本である。
しかも、その1ページすらほとんど空白で占められている。
こうした出版スタイルは出版史上、まれに見るものであるという。
このような、シンプルと言えばあまりにもシンプルすぎる本が、なぜこれほど話題を呼んでいるのか。

筆者である樋口裕一は、本書の最大目的である「頭のいい人、悪い人の見分け方」の方法論を、わずか一行の文章に集約している。
その集約があまりにも正鵠を得ており、読者を激しく震撼させ、圧倒的な説得力の下にねじ伏せるのである。
すなわち、表紙をめくればそこにはたった一行、こう書かれているのである。

「こういう本を読む奴は、たいてい頭が悪い。残念」

そこに在るのは、一見悪意に満ちた読者への突き放しである。
我々読者が持っていた「頭の良し悪しを見分けたい」というささやかな望みを、容赦なく突き崩す一撃である。
しかし、これは限りない優しさに満ちた一言でもあるのだ。
これからはこの手の本に騙されてはいけないよ、という筆者独特のエールなのである。
そうした筆者の優しさに触れ、我々読者は新しい希望を見出す。
頭が悪かった自分からの、希望に満ちた脱却である。この本は、そうした希望を我々に示唆してくれるのだ。
こうして、己の頭の悪さを自覚した読者は、それを忘れないためにこの本を持ち歩くのだと言う。

後書きには「ちなみに私は頭がいい」と書かれているのも筆者一流のユーモアが溢れており、微笑ましい。
「知のマニュアル」を人々が盲目的に求める今の時代、こうした本の存在は貴重である。
本当の頭のよさとは、マニュアルから得られるものではない。
知とは経験に即したものであるべきで、頭に詰め込めばそれで良いというものではないのである。
この「頭がいい人、悪い人の見分け方」はまさに、知的マニュアル全盛時代への、高らかな警鐘であると言えよう。


at 15:28│ でたらめ書評 
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