2005年06月19日

本日の本棚 関東を出よ(上) [著]村上竜

関東を出よ(上) [著]村上竜

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これまで関東圏から一歩も出たことの無い老夫婦が、80歳を迎えた記念に、人生で初めて関東脱出に挑む。

意味不明、というもおろかなこの物語を、リアルで緊迫したサスペンス小説に仕立てあげたのは、村上竜の卓越した調査力と妄想力である。
非凡過ぎるイマジネーションを、細密な世界認識が何とかと支えている。

今年で80歳を迎える老夫婦、高橋良雄・貞子は、今まで関東圏を一歩も出たことが無い。
しかし、良雄は、80歳の誕生日の朝、貞子に関東圏を出るという決心を告げる。
二の足を踏む貞子の説得シーンに300ページもの分量を割いているというから驚きだが、決して飽きさせないのは村上の技巧が優れているからだろう。

良雄は経済学・哲学・法学等、あらゆる理論を用いてようやく貞子の説得に成功する。
説得を始めてから、既に二年の月日が経とうとしていた。良雄はようやく関東を出られる、と喜ぶが、そうは問屋が卸さない。
今度は何を着ていくかで、再び貞子との押し問答が勃発してしまう。
人生最後の晴れ姿だから、とラメ入りのフリルワンピースを着込もうとする貞子を、良雄が懸命に宥めるシーンはまさに圧巻だ。
良雄がいかなる手法を用いて説得に成功したか、それは是非本編で確かめていただきたい。

何とか着ていく服も決まり、いよいよ出発に向けて準備に入る二人。
しかし、そこに突然一本の電話が入る。妻の友人からであった。
電話は延々と続き、日が暮れても一向に妻は電話を切ろうとはしない。業を煮やした良雄は、電話線を切断しようとする。
させじと妻も、包丁を持ち出して応戦し、舞台は一転、夫婦間のバトルシーンへと突入する。

女だからと舐めてかかった良雄は、思わぬ苦汁を舐めることとなる。
怒涛の勢いで紡がれる文章からは、ぶつかり合う包丁の音や、老夫婦が咳き込む音が聞こえてきそうである。
死力を尽くして戦う二人は、やがて己が全てを賭けて、互いに渾身の一撃を放つ。
まさに、新時代の夫婦のあり方を予感させるような、そんなワンシーンである。
良雄の放った「第八聖刃改 大車輪」と、貞子の放った「アポカリプス・ダキトゥス」が真っ向から激突し、周囲一体は凄まじい衝撃に襲われた。
立ち込める白煙の中、たたずむ夫と妻。本書における、最高のクライマックスシーンである。
徐々に晴れてゆく煙の中、やがて一人がゆっくりと崩折れる。倒れたのはどちらなのか…
という非常に先が気になるところで、上巻は終わっている。
この時点で、ストーリーの開始から既に6年が経過しようとしているが、二人はまだ関東を一歩すら出ていない。
戦いに敗れたのはどちらか、二人は関東を出ることが出来るのか。全ては下巻で明かされることになる。

2890ページにも及ぶこの超大作は、バトル小説としても見事な完成を見せている。
流れるような良雄の剣捌きや、風の如き貞子の魔法詠唱の緻密な描写にはただただ驚かされるばかりである。
また、これからの時代の夫婦の在りかたを啓示すると共に、既存の夫婦社会への疑問を投げかける。
夫・もしくは妻との関係に疑問を持っている人には、是非読んでいただきたい作品である。
特別付録として、メモ帳150ページと、1年分のスケジュール表、更には関東圏全路線図が付いているのも嬉しい。

―――君は、関東を出ることができるか。


at 21:55│ でたらめ書評 
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